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アニスが嫌いだ。
僕を見るたび、イオンを思い出しているから。顔が同じ、元が同じだというだけで、辛そうな顔をするから。
アニスが嫌いだ。
毎回僕に突っ掛かってくるくせに、イオンの声真似をしただけで傷ついたような顔をするから。イオンではないと分かっているくせに、泣きそうな顔をするから。
でも、一番嫌いなのは…自分自身だ。
イオンの真似をしたって、あいつを馬鹿にしたって…意味がないと分かっているのに。
それでも…、自分を守るために、あいつらを侮辱する。そうする事でしか自分を保てない僕自身が、嫌いだ。
ケセドニアでアニスに会ってからというもの、ずっと気になっている。
僕の顔を見た瞬間、安心したような表情だったから。まさかとは思うが、良かったとでも思ったのだろうか。
けれど僕が預言士を騙る姿を見て、顔を歪めたのも事実。あぁ、それはそうだろう。大事な大事な、レプリカイオンを馬鹿にしているとでも思ったんだろう?
アニスが何故そこまでしてあんなレプリカを気にしているのか、それは分かりきっている。あいつにとってはレプリカだけが本物で…ただ、僕はあいつと同じレプリカだから気になっているだけ。
…それが分かっているのに。
何をするでもなくケセドニアを歩いていたら、港に辿り着いた。
どうしたものか、と考え込んだ時、耳障りな声が辺りに響いた。
「あーあっ、もう!やめやめ!シンクの事なんか知るかーもー!」
しかも、勝手に人の名前を叫ばれた。
誰一人としていないはずの港にいた人物…そいつをよく知っていたから、僕は笑って言ってやった。
「そうしてくれると有り難いね」
「!!!」
そいつは僕の声にびくりと肩を震わせてから振り返る。
するとそこには…見慣れた、あの顔。あいつばかりを気にしている、馬鹿な女。
「あ…っ!?」
「こんな所で人の陰口?アンタも暇だね」
「ななっ、なっ…」
言うべき言葉が見つからないとでも言いたげに、アニスはわなわなと体を震わせる。
僕はそんなアニスを鼻で笑い、見下ろす。見下したように睨み付けて。
(こいつは結局、あいつしか見えていないんだ)
そう、怒りを込めた目で睨み付ける。
すると怖気付いたのか、アニスは空ろな視線を僕に向ける。
「つめたい…」
「は?何、頭までおかしくなったの?」
その反応、その言葉が可笑しくて、僕は嗤う。
こいつはやっぱり馬鹿だ。そう言ってやろうとした、その時。
「やっぱり、イオンさまとはちが…」
「っ、アイツと比べるなっ!!」
この世で一番嫌いな名前を出されて、僕は勢いのまま、言いかけた言葉をかき消すようにアニスを押し倒した。
抵抗する事もなく、簡単に倒れるアニス。しかしすぐに我に返ったらしく、僕を睨み付け、逃げようと足掻き出す。逃げられるはずもないのに、必死になって。
「何…すんのこのアホ!アホシンク!」
「煩い!」
苛々する。必死になるこいつにも、…馬鹿みたいにあの名前に反応する、自分にも。
でも…それでも、言わずにはいられなかった。
「どいつもこいつも導師導師…煩いんだよ!僕は…あんな奴とは違う!」
怒り、憎しみ…そんなもの、有り余るくらい持ち合わせている。
きっとあのレプリカの中にはそんなものはなく…、僕のところに、全てソレらが回ってきたんだ。
だから僕はあいつ等を憎む事しかできなかった。
(それをどうこうしようと言う訳じゃない。ただ…憎んで憎んで…自分自身、嫌になるだけ。)
誰もが僕に、アイツを求めるから。だから、憎むしかなかったんだ。
今、抵抗もせずに僕を見つめるアニスだって、僕を見ず、あのレプリカしか見えていないんだろう。それが嫌でたまらない。僕は…シンクだというのに。
どうしたら、イオンではないと理解するんだ?
ぎりり、と腕を掴む手にも力が入る。
(そうだ、こいつをどうやって殺してやろう?…あいつに瓜二つの僕に殺される瞬間、こいつはどんな顔をするんだろう?泣いて命乞い?絶望?あぁ、それも面白い。)
「…シンク」
そんな事を考えていたら、無抵抗だったアニスが口を開いた。
「何だよ…今更命乞い?そんな事したって」
「ごめん」
「っ、な、何?」
てっきり命乞いでもするのだと思っていたところに、予想外の言葉を耳にした。
謝罪の言葉を聞いたのなんて初めてで、強く掴んでいた手の力が思わず緩む。動揺する僕を尻目に、アニスは話し続けている。
「あんた、やっぱり…イオン様とは違うよね。別人だよね。…分かってたけど、今更気付いた。だからごめん」
謝罪の言葉を口にして、泣きそうに顔を歪ませながら…そう、アニスが僕に謝っている。分かっているのに、理解できない。何故僕に謝るんだ?イオンと違う、なんて今更の事を?
「…意味が分からないんだけど」
何とかそれだけ口に出して、どうにかして心を落ち着かせようと視線を彷徨わせる。
「だからっ、…シンクはシンクだって言ってんの!もーいい加減離してよ」
『シンクはシンク』…だなんて、本当に、今更。
僕は、僕。そんなの分かりきっている事で、自分でもどうした事かと思う。
けれど…初めてだった。
イオンと僕が別物だと、はっきりと断言されるのは初めてだったんだ。
まさかそんな事を言われるとは思ってもいなかったから、思わず力が抜けた。
その途端、アニスは僕の手からするりと抜け出し立ち上がる。それで漸く我に返った僕も慌てて立ち上がる。
先ほどまでの怒りはどこへ行ったのか、自分でも驚くくらいに落ち着いていた。
「バッカじゃないの、アンタ」
「気が合うね。私もそう思ってたトコ」
「ふん…」
真っ先に出て来た言葉は怒りや憎しみがこもったものではなく、ただ呆れたように呟いた独り言。アニスもそれに同意し、笑っていた。
どうしてだか、先刻までの怒りは消え去り、今まで知らなかった感情が沸き上がる。
これは何か。
理解はしていたけど今まで持つ事のなかったもの。負の感情ではなく…ただ、ただ嬉しかった。馬鹿みたいに、子供のように。嬉しいという感情が沸き上がった。
そこでふと、目が合った。イオンを見る目とは違う…けれど、優しい光が宿っている瞳。こんなアニスを見るのは初めてで、僕は再び動揺してしまった。自分自身の感情と、アニスの視線に動揺して、僕は慌てて背を向けて歩き出す。
「あ、ちょっと!どこ行くのよ!」
「…気が削がれた。まだ殺さないであげるよ」
僕は振り向かず、動揺を見せないよう冷たく言い放つ。
けれど、これは言い訳だ。
気が削がれたのは事実でも…殺さない理由は別にある。
ただ、…殺すのは惜しいと思っただけだ。ただ、それだけ。
「な…残念でした!私は死ぬ気なんて全っ然ありませんー!」
そんな僕の考えを知りもしないアニスは、生き続ける事が当然だとばかりに怒鳴りつけてきた。
アニスの反応が分かりやすくて、僕は肩を竦める。
「…アンタさぁ」
「なっ、何よ」
くるり、と振り返ると目の前には僕を睨み付けるアニスの姿。
先刻まではあんなに弱々しかったくせに、なんて立ち直りの早い奴なんだろうか。
そう考えて、思わず笑ってしまった。
「本当に…馬鹿だよね、アンタ」
「あ、な……ば、馬鹿って言った奴が馬鹿なんだからね、馬鹿シンク!」
「あっそう。…じゃあね」
言うだけ言ってから、アニスの言葉に耳もくれず、僕は再び背を向けて歩き出した。
早足で街を歩いてみると、何故だか心が軽くなった。
どこか心地良い風が吹き、そういうのも悪くない…と、初めて思えた。
(単純にも程があると思うんだけど)
などと思っても、どこかざわつくこの感情。
(馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいのは分かっているのに、…あぁ、どうやら。)
案外、自分が人間らしさを失っていないのだという事に呆れながら、綺麗だとは思いもしなかった星空を見上げてから、僕は認めたくもない仲間の元へと向かって走り出した。
アニスが嫌いだ。
イオン様、イオン様、なんて、もうどこにもいない奴を求めているから。
アニスが嫌いだ。
フローリアン、とかいうレプリカイオンを保護して…あいつを重ねあわせているようで、苛々するから。
けれど、けれど。
…ほんの少しだけれど、僕を気にかけるアニスは嫌いじゃないと思ったり、僕以外には簡単に見せている、様々な表情を目の前で見たい、だなんて思った自分が嫌いだ。
余りにも馬鹿馬鹿しくて、気の迷いだ、と思い込んで目を閉じても、真っ先に浮かぶのがアニスの顔だなんて…とうとう壊れてしまったのかと、自分の思考回路が嫌いになった。
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アニスのことは前々から気になってはいたけれど(まぁ、導師守護役ですし)
この辺りから本格的に気にし始めると良いなぁ・・・!