* * *
(…最悪だ)
目の前にはしぼんだパウンドケーキ。
手元に生クリームになりかけのものが入ったボウルを持ったまま、僕はがっくりと肩を落とした。
今日がマツバの誕生日だと知ったのはつい最近のこと。
カリンに「アンタが何を用意してるのか気になるんだけど?」と言われたのがきっかけだった。
何も知らなかった僕を散々笑った彼女は、お詫びにこれ貸してあげる、と人の悪い笑みを浮かべながらケーキ作りに必要な器具を貸してくれたのだ。
「甘党だったら間違いなく喜ぶ」、なんて言われてその気になってしまった僕ははじめてのケーキ作りに挑戦し…見事に失敗した。
「レシピ通りに作ったのに…最悪」
しかし落ち込んでいても始まらない。じめじめした考えは嫌いだ。
代案としてカリンに渡されていたレシピを取り出し、クッキー作りに取り掛かる事にする(これを見越していたのだろうと思うと悔しい)
「…ん?」
レシピの端に、どこかの電話番号が書いてある。
横には『クッキーを作る前にかけること』の文字。
「…カリンの電話番号かな」
ポケギアを持っているのだから無意味だ、とは思ったものの、その指示通りに僕は電話をかける事にした。
「来てくれて嬉しいよ」
「はいはい、分かったからさっさと入れてよ」
綺麗な笑みを浮かべるマツバの出迎え。
彼の家に来るといつもこうだ。何度も来ているというのに、マツバは笑顔を崩さない。
毎度の事だから慣れればいいのだけど、僕は照れ隠しにすぐに家に入る。
顔を合わせなくても相手が笑っているだろう事は予想できるけれど。
「イツキくん、今日は荷物が多いね」
「……そりゃそうでしょ、マツバの誕生日だし」
「え…ああ、そういえば」
自分でも忘れていたとはなんとも彼らしい。
僕が知っていたのも相まって、マツバは二重に驚いたようだ。
それがまた恥ずかしくて、僕は早足でリビングへと向かう。リビングのテーブルに荷物を置き、辺りを見回す。
見慣れたマグカップを食器棚の中に発見し、コーヒーはどこだろうかと再度視線を動かすと後ろからついてきたこの家の主人と目が合った。
「どうしたんだい?」
「コーヒーってどこ?」
「それは奥の…僕が出してくるから、イツキくんはマグカップを用意してくれるかな」
僕が何をしようとしたのかを察したマツバは、再び笑みを浮かべてそう告げる。
反論する必要もないので、僕は言われるままに棚からマグカップを取り出してテーブルに置いた。
そして、奥のキッチンでマツバがコーヒーを用意している間に荷物のひとつである紙袋からケーキを取り出す。美味しそうなホールケーキだ。結局自分では用意出来ずに終わったけれど。
さすがに蝋燭を燈してまで祝う年齢でもないのでそのままで、二人分の皿とフォークを取り出してカップの横に置いた。
戻ってきたマツバはそれを見て驚いたようだった。それはそうだろう、客としてやって来た僕がこんな事をするのは初めてなのだから。
「本当に用意してくれたのかい」
「…まあ、たまにはね」
「ありがとう」
マツバにコーヒーをいれてもらい、席に着く。
相手の視線は見慣れないケーキに注がれていて、やはり甘党だなと思う。僕ならあまり興味を示さないものだ。
そこで漸く、せっかくの誕生日に何も言わないのはどうかと気付き、咳ばらいをひとつ。相手の視線がこちらに向いたのを感じる。
「ええと。誕生日おめでとう」
「…ありがとう」
嬉しそうに笑うマツバは綺麗だと思うのはいつもの事だ。
けれどやっぱりそれが見れるのは嬉しいもので、緊張も解れた僕はついでとばかりに荷物に手を伸ばし…目的のものを手に取った。
見慣れない包装用の袋。中身は例のクッキーだ。勢い任せにそれをマツバに押し付けた。
「それもあげるよ」
「えっ」
「何も用意出来なかったから、それだけ。」
相手の反応が気にはなったものの目を合わせるのはどうにも恥ずかしいので、視線を逸らして窓の外を眺める。
けれど、
「イツキくん…もしかしてこれは、甘いものだったりするかい?」
「!」
彼の言葉に驚いて、思わず真正面から顔を合わせてしまった。
相変わらず笑ったままのマツバと目が合って、思わず目を逸らしてしまう。
気付かれた事には驚いたものの、だからといって慌てる必要などないのだから、と自分を鼓舞してから口を開く。
「何でわかるの」
「イツキくんから甘い香りがしたから、かな」
「……勝手に人のにおいかぐな、変態」
「変態って…でも嬉しいよ、ありがとう」
「べつに」
そんなに嬉しそうに笑われたら、何も言えなくなる。
いつの間にか心臓は早鐘を打っていて、自分が緊張しているのだと気付く。いつもそうだ。
マツバを喜ばせようとしていた筈が、こちらが喜んでどうするんだ。
「このケーキもイツキくんが?」
「…それはカリンに教えてもらったお店の」
「そうなんだ。美味しそうだね」
喜んでいたのもつかの間、その言葉にムッとする。
甘党のマツバにしてみれば美味しそうなケーキが気になるのは当たり前だ。それが分かっているのに、苛ついてしまうのは何故だろうか。
しかもそんな僕の様子にいち早く気付くのがマツバという男だ。
「イツキくん手作りの方がよかったな」
「うるさい。さっき渡したからいいでしょ」
フォローなのか何なのか、そんな事を言ってくるのだから。どれだけ僕に甘いんだ、こいつは。
(…マツバの言葉にあっさりと機嫌が直ってしまう僕も僕だ)
何も言い返す気になれなくて、僕は照れ隠しに目の前にあるケーキに手を伸ばす。
甘党の彼の為に用意してもらったケーキは、甘くて胸焼けしそうだったけれど。
(誕生日おめでとう、これからもよろしく)
その言葉を呑みこんで、僕はケーキを食べ始めたのだった。
* * * * *
かさのさん、誕生日おめでとうございます!!
ということでお祝いマツイツです。
「おめでとう、そしてこれからもよろしく!」の意を込めて。
マツバさんの誕生日をお祝いするイツキとか可愛いじゃない。
イツキの手作りクッキーはお約束で塩味。
でもマツバさんは笑顔で食べきってくれるよ!